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2006年05月01日

水俣病。

水俣病公式確認から50年。


そういえば、理系倫理の授業で水俣病の歴史についてやったんだった。


当時のテスト対策用のまとめが残ってたから、載せてみます。


水俣病を題材にしたNHKかなんかの特集のビデオを観たりしたまとめです。



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水俣病の歴史
チッソ会社の敗因

☆構成人物
国の人:汲田;水俣病対策を考える人
本社の人:入江
水俣工場の人:西田;工場長
       太田;工場長の秘書
       上妻;技術部で研究
       由佐;
       塩出;母液に有機水銀化合物が混ざっていることを発見
       中村;酢酸課長
       市川;熊大の研究結果への反論書作成
       石原;母液から有機水銀の検出に成功
チッソ病院の医師:小嶋,細川(病院長)

☆チッソ会社の歩みと水俣病の歴史
   戦前   チッソ会社はダムと水力発電所により、朝鮮で成功。
        肥料などを作る8万人もの規模の化学メーカーだった。

   戦後   朝鮮でやっていけなくなったので、生き残っていた
        上層部の人達で水俣にまた工場を造る。
        朝鮮と同じ手法(ダム&水力発電)で行おうとした。

昭和24年   インフレによりダム建設中止
         →資金繰りのためにアセトアルデヒドを大増産
           →排水を水俣湾に流す

昭和26年   技術部にいた塩出氏はアセトアルデヒドを作る途中
        有機水銀化合物ができると実証。その有機水銀化合
        物ができる液(母液)があふれ出て排水に混じるこ
        とを中村氏に報告。アセトアルデヒド増産のための
        新しい機械の欠陥を指摘するが、取り合われず。
          ←このころは母液に有機水銀化合物ができても
           すぐに分解すると思われていた。
           だからずっと母液に有機水銀が混ざってると
           は思われていなかった。

昭和28年   カラスやネコがおかしな行動をとるようになる。

昭和31年4/21 チッソ付属病院に、口がきけなく、手が利かなく、
         痙攣を起こした6歳の女の子が運び込まれる。
     
     5/1  小嶋医師は熊本県に奇病発生を報告
        その後次々と同じような症状の患者が運び込まれる
                       ↑
                水俣湾を囲むように暮らして
                いる漁民とその家族
                 →何らかの原因で魚が汚染
                  されている。工場が原因か?

       アセトアルデヒドの生産によって奇病が起こることは
       ない、とチッソが発表。
         ←排水が原因なのではないか。
           →アセトアルデヒド生産量は戦前と変わって
            いない。戦前に奇病は発生していない。

        熊本大学が工場排水が原因だ、と発表。
               ↓
         チッソでも技術部が研究開始。

昭和32年   太田氏が、海が干潮の時、排水口を見に行った。
         →ヘドロがたまり、魚や貝が死んでいる。
                 ↓
              西田氏に報告
               →満潮の海を見に行く。
                「海は普通の状態じゃないか」

昭和33年9/18 入江氏が西田氏を訪ねる。
          ←工場に原因がないとは言い切れない。
           だからここは熊大と協力して研究しては
           どうか?
            →する必要ない!!と西田氏は反論。
         
        その後排水口を水俣川河口へ。
         →不知火海全域に水俣病が拡がる。

        石油化学が発達してきていたが、それに頼らず、
        昔ながらの手法で工場を動かす。
        アセトアルデヒドが必要なオクタノール
        (ビニールの化合物)が市場を独占し大増産へ。

        チッソ病院にてネコ838匹を使った実験が行わ
        れる。その中の一匹に工場排水を飲ませるという
        実験(ネコ400号実験)を細川医師が勝手に実行。
          →7/21から飲ませ始め10/7に水俣病を発症
        
        反論書作成に任命されていた市川氏はこの事実を
        「たった一つの実験例だから」
        という理由で反論書に載せなかった。

昭和34年1月 熊大の工場排水が原因だという説に反論、
        「爆薬説:海底に沈んでいる爆弾から爆薬が漏れ
        だしているという説」を提示。
         →しかし調査の結果海底に爆弾があった形跡は
          なし。

        この間にネコに排水を飲ませる実験を行ったが、
        症状が薄かったため水俣病ではないと判断され、
        また公表されず。

     7月 熊大が有機水銀中毒説を発表。  
        
     8月 漁民が排水中止を求めて座り込み。

     11/2 不知火海の漁民が工場に乱入、工場排水停止を
        求める。
         →しかし、県の28団体が県知事にチッソの
          操業続行を求める。

     12/30 漁民とチッソの間で見舞金契約
                   ↑
           今後工場が原因だとわかってもこれ以上
           の損害補償を要求できない、という内容。

昭和35年   水俣病対策を考える汲田氏は工場を止められ
        なかった。
        水俣病対策協議会が発足
         →1年でつぶれる。
         →国は原因追及をしようとしなかった。
                &
           高度経済成長がスタート

昭和36年   技術部の石原氏が、母液の中からメチル水銀の
        結晶の検出に成功。
          (このときには社会全体が有機水銀が水俣
           病の原因だと思われていた・・・)
        有機水銀の存在を科学的に証明。
         →上妻氏に報告、butあまり関心示さず。
           →魚に入ってどうなるのかを調べろ、と
            言われる。
            (タンパク質とメチル水銀は結合し、
             無機水銀とあきらかに異なる症状を
             示すと実証する)

        チッソ労働争議の発生!
            ↓
         技術部での水俣病研究が終わる。

昭和40年   新潟水俣病の発生。昭和電工のアセトアルデ
        ヒドが原因。
          ←国も企業も工場を止めなかった。。

昭和40年代  公害深刻化(四日市喘息、川崎病など)

昭和45年   高度経済成長の否定派が肯定派を上回る。

昭和48年   チッソ敗訴
          ←熊本地裁:工場は安全確保の義務を負
           うべきだ、と判決。


   技術者の前に立ちはだかる企業の壁、そして技術者
   が招いた誤り。それらが水俣病を引き起こしたのだ。

(矢印の説明:↑;語句の説明
       ↓;その結果
       →;その結果
       ←;理由、原因、内容)
posted by sayu at 22:45| 京都 ☁| Comment(1) | TrackBack(1) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
「友達の中で処女なのは私だけ…誰でもイイからバージンを貰ってほしい!」 そんな女性が沢山いる事をご存じですか?であいが無かった、 家が厳しかった等の理由でHを経験したことがない女性がたくさんいるのです。 当サイトはそんな女性たちと男性を引き合わせるサイトです! http://movie.musicfriction.com/
Posted by サイトマスター at 2010年01月07日 23:49
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Excerpt: 4月29日、日比谷公会堂の水俣フォーラムの特別講演会に行って来ました。そこで出会った人みんなに「六ヶ所」の話をして美浜の会が作ったリーフレットを渡しました。ほとんどの人が「再処理」のことを知りませんで..
Weblog: SENZA FINE
Tracked: 2006-05-02 14:18
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